人工呼吸器の人
2012年 02月 06日
母は昨日、人工呼吸器の人となりました。
昨朝、入院先の病室で心肺停止状態で発見され、心臓マッサージ、強心剤等の蘇生処置が施され、蘇生しましたが、人工呼吸器の装着となりました。鼻にも水分補給の管が差し込まれ、手にも胸にも最新機器数台のコードが貼り付けられていました。
多分、もう意識は戻らないでしょう。
重症患者室に移されたので、病室に飾ってあげた絵葉書を持ち帰りました。
小鳥が好きだった母は、庭に来る野鳥のために餌台を作り、よく餌をやっていました。
傍目には、仲の良いおしどり夫婦と写っています。
確かに夫婦喧嘩をしているのを見たことがありません。
しかし、それは母が父に従う姿勢を貫いたからです。
我がままな暴走老人に合わせて自分の意志を封じ込めていたからなのです。
大正生まれの女の信念の強さは、あっぱれでした。
常に三歩さがった位置で、愚痴も文句も言わず、冷静に平和を保持して、夫の前に出しゃばることはありませんでした。
娘たちとは、正反対の生き方でした。
そんなふうに自分を貫いた人生でしたから、書置きも言葉も何も遺さずに、言葉を失いました。
幸せだったのか、不幸せだったのかは、娘たちにも語らなかったのでわかりません。
次の世代に多くの謎を遺して、大正・昭和・平成を静かに生きた女です。