ホッホーとは、ふくろうの鳴き声です。また、「なるほど、なるほど、ホッホー」と感心する声でもあります。


by hohho-biny
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整理整頓しながら

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整理整頓をしながら、過去に切り抜いた新聞記事を関連する図録や本にはさむ作業をしています。
私の行動に脈々と流れている血と過去の思い出をどのように処理しようかと思い悩みます。
2006年9月の新聞記事。石内都の母の遺品シリーズの写真展。
捨てるために写真を撮る。そんな風に始まった母のシリーズ。
石内都は喪失が生む存在感を浮かび上がらせる手法の達人です。
捨てられない過去や封印してしまった過去の何を表現して遺すのかは、これからの私の課題です。
新聞を石内都の写真集「ひろしま」に挟みながら、読み返しました。
本の間に別冊付録栞がはさまっていて、冒頭の詩を再読しながら目が釘付けになりました。
転写してここに記録します。
ノーベル文学賞を受賞したポーランドの女性詩人、
ヴィスワヴァ・シンボルスカ(1923~)作、つかだみちこ訳
「橋の上の人たち」(1986年)所蔵

世紀の没落

われわれの二十世紀は、前世紀より
よい時代であるべきであった
歳月人を待たずのたとえのように
年をとれば、歩みもおぼつかなくなり
息も短くなる

あまりにも多くの
起こるべきでないことが起きてしまった
そして、きたるべきことは
やってはこなかった
とりわけ 春や 幸せに向かって
歩み続けるべきであった

恐怖は、山や谷から去っていくはずであった
虚偽より早く真実は
目的に向かって突き進むはずであった

不幸な災害のいくつかは
起こらないはずであった
たとえば戦争
そして飢餓などの

備えのない無防備というものが
尊ばれるべきであった

だれがこの成し遂げることのできない
課題の前で動きのとれなくなってしまった
世界を寿ぐことを望んだのか

愚鈍さは 滑稽なことではない
賢明さということは 楽しいことではない

希望
これはもう、あの若い少女のものではない
残念なことに

神は 善良で たくましい人間を
信じるべきであった
しかし善良とか たくましいということは
これは依然としてまだ一人の人間に望むべきこと
ではない

どのように生きるべきかーーーー手紙でだれかが訊いて来た
この同じ問いを
だれに投げかけたらよいというのか

今まで書いてきたように
またいつもと同じことではあるが
どう生きるのかという素朴な質問以上に
緊急な問いかけというものはない
by hohho-biny | 2010-01-05 09:04 | 詩の時間