今日は終戦記念日。
「傾斜地」と題した母の短歌を読みました。
昭和の記録 歌集八月十五日 にかつて掲載された作品です。
硫黄島で戦死した母の兄を詠んだ六首です。
☆ 傾斜地に兄の堀りたる横穴にわれ等空襲よりまもられてをりぬ
☆ ただ一度だけの面会横須賀に足は軍服きりりとありぬ
☆ 面会が最後となりぬ挙手をして笑みたる顔の今に浮かべり
☆ 硫黄島にのこる戦跡そのかげに宿るあまたの兵の魂魄
☆ 自転車を二台連ねて遠出せし記憶のかなた兄の広き背
☆ 学徒兵を神宮外苑に見送りしあの澄みし空今に忘れず
当時、庭の半分を占めていた傾斜地と池、その斜面に兄が横穴の防空壕を掘ってくれたのは
昭和18年頃のこと。
東京の空が頻繁に空爆を受ける以前であった。
高さ二米、奥行三米、なお右折して二米もあったと思う。
兄はかなりな体力の持ち主だったので、自慢したい程の避難所になった。
今はすべて跡形もないが、記憶の中の防空壕は硫黄島で戦死した兄の大事な遺産となった。
大きなスコップで来る日も来る日も土をかき出していた俤が今も鮮やかである。
写真は、母の兄の遺品。記念品箱にいっぱい!!
陸上競技大会や武道大会などで入賞したメダルたち!幼年倶楽部のバッヂもある。
スポーツマンだったようです。
伯父が友人と二人で編集出版していた雑誌。
文学史観、文学雑感など執筆している。文学青年でもあったらしい。
遺されている尋常小学校から大学までのアルバム各4人分!!
助けてくれ~と叫びたい。本人が写っているページだけ切り取って捨てた。
亡き母が専攻科1年の時の習字。小・中・高の教員免状を持っていた母は勤勉な努力の人でした、
父と母が処分できなかった遺品の数々を一つ一つ開いて眺めながらセピア色の時間に浸っています。
実家の片付けとの闘いも終盤を迎えました。全てのモノを点検しました。
これも私なりの供養かと・・・
休みの日を全部使って取り組み、莫大なエネルギーを吸い取られました!!
代々遺された血族の遺品整理は並大抵ではありません。夥しい数の手紙や写真(整理されていない)、作文、通信簿、論文、書類、趣味の作品、手帳等など、過去からのメッセージが届いて身を正されます。
戦争を乗り切って皆、一生懸命マメに生きていました!!
セピア色の世界はスゴイのです。
8月11日、お墓参りをして花を捧げ、「好き放題生きて、ガラクタばかり遺して、まったくもう許せないよ~350本の椿の移植なんて汗だくだったんだから~ 後始末の事を考えてやってよね。プンプン」と報告しました。