ホッホーとは、ふくろうの鳴き声です。また、「なるほど、なるほど、ホッホー」と感心する声でもあります。


by hohho-biny
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29

<   2012年 02月 ( 11 )   > この月の画像一覧

f0139963_6553262.jpg

母のターミナルを考えさせられる毎日です。
それぞれが揺れ動く気持ちを抱えながら母に寄り添っています。

omisoちゃんから便りが届きました。

本当に人によって考え方も捉え方も違うと思います。

管を入れる体になっても、とにかく少しでも長く生きていてほしいと願う家族。
本人が苦痛を伴うことは望まず、自然なままの最期を願う家族。

あの時はそれでよかったけれど、状況が変わり、本人をみると、人の気持ちは変わります。
当たり前だけど・・・
とても考えさせられる難しい判断です。

ホッホーさんが迷うように、気持ちが揺れ動く家族を、何ケースもみてきました。

本人の意思確認がとれるのであるなら、本人の思いどおりに・・・
とれないなら家族の想いが親の命を決めるのです。

何より私たちが家族としてできなかったことは、たくさんあります。
このような状態になる前から、もっとずっと前から関わっていたなら、何もかも違っていたでしょう。

こうなった今、私の気持ちは、毎日ホッホーさんからのメール報告を読んで、本人の反応も意識も少しは戻り、それが誰かとわかっているかは不明ですが・・・嬉しい復活であり、尊い命の現われ、生きる力です。
こうして家族と再会できたこと、もしお話ができたなら、本人は私たちに何を言うのかな?と思う。

今からでもできなかったことをしてあげることもできるし、寄り添うこともできるよね。

夫である問題だらけの暴走老人でも、ここまで二人で生きてきた夫婦です。
何もしてないけど、病院に毎日通う90歳。
暴走することだらけだけど、愛情表現の形なのかと思いました。
彼の行動はありえないことだらけだけど、妻に寄り添っているのではないでしょうか。

そう考えたら、ずっと一緒に生きてきた旦那さんの妻に対する想いを大事にしてあげることが、一番大事なのではないでしょうか。
想いは複雑ですが・・・
本人が最期まで自宅にいたことは、在宅で最期まで夫といる決断をしたからです。
そしたら、そこで望んだ2人の最期の形とってあげることが、私たちにできることかなと思いました。

いつも思いますが、決して自分たちの自己満足の最期にならないように・・・
親子孫の関係も大事ですが、何より夫婦の絆は、私たちには計り知れないものがあると思います。


夫である暴走老人の願い・・・これ以上苦しませたくない。自然体で安らかに逝かせたい。
気管切開はせず、人工呼吸器をはずすことに決めました。
誰にとっても辛い選択でした。
by hohho-biny | 2012-02-29 07:36 | 求めない時

今朝の雪景色

f0139963_6422277.jpg


2月29日 うるう年2月の最終日です。
今朝5:30
カーテンを開けると雪景色でした!










f0139963_642338.jpg












f0139963_6425283.jpg



積雪はこの位です。









f0139963_643776.jpg


今日は早めに出勤します。
転ばないようにしなくちゃ~
by hohho-biny | 2012-02-29 06:52 | 四季のうた

母の再生を願って

f0139963_8584954.jpg

二回も心肺停止し脳死した母の脳細胞を何とか活性化できないものかと、毎晩仕事帰りに病院に寄っていろいろ語りかけて試しています。
時間が夜8時に近いので、大概は眠っています。
眠っていても目が開いていても、いろいろ試します。
その活性化剤の一部を記録しておきます。
反応はその日によってまちまちです。

この絵本は、しりとりになっていて楽しい♪ので、始めから終わりまで読みます。
言葉を思い出すきっかけになればと思うのです。

f0139963_827517.jpg

庭に来る野鳥を愛していた母に、この下敷きを見せて身近な鳥の名前を読み上げます。

f0139963_8283438.jpg

裏表に鳥がいっぱい描かれています。
以前母に贈った下敷きです。

f0139963_8325158.jpg

私の祖父(母の父)の作品が私の手元に10枚遺されています。
祖父は建築家でした。
関東大震災の後の宮内庁復興局に勤め、都市復興に尽力しました。
震災の翌年に生まれた母の名前は、復興の興をとって ”こう” としました。

f0139963_8331475.jpg

これは多分、祖父の若き日のデザイン習作です。
これを見せながら、母に語りかけます。
「これ素敵なデザインでしょう。 お父さんの作品ですよ~ 覚えていますかぁ~ 
色合いがきれいですね。あなたの色彩感覚は、きっとお父さんゆずりですねえ・・・
私には遺伝しませんでしたけどねえ~」

f0139963_8332622.jpg

祖父は、私が小学校5年の時に結核で亡くなり、当時母は結核療養所に入院していましたから、父親と母ががどんな父娘関係だったかは知るよしもありません。

f0139963_8333568.jpg

こうして約一世紀前の作品を眺めていると、人が賢明に生きていた時代の声なき声が聞こえてくるような気がします。
祖父は勤勉実直な優しい人でした。晩年は結核を患ったため、私は遠ざけられていましたが、一緒に作った押し花標本が押入れの奥に眠っています。
何回も新聞を取り替えて、重しをしてくれた几帳面な思い出が、祖父の書棚や勉強机と共に脳裏に焼きついています。
by hohho-biny | 2012-02-23 10:21 | セピア色の時間

義父の道と菜の花

f0139963_7462856.jpg

昭和40年代、今は亡き義父晩年の作詩です。
開拓と開墾に生涯をかけた教育者でした。
人の道を説くのが好きでした。
「まあ お座んなさい」から始まり、お説教は延々と続くのでした。

f0139963_7552233.jpg

義父に贈られた詩が二編、手元に遺されています。
母の詩とともに、「ゆくて」と題した冊子に収められています。
挿絵、編集、製本は母の手作りです。
今、読み返すとどの詩にも、人として親としての思いがあふれていて涙がこぼれます。
by hohho-biny | 2012-02-23 08:10 | セピア色の時間

母のコマ

f0139963_7364515.jpg

母が昭和46年3月に作った作品です。
詩も版画もガリ切りも製本も全て母が作りました。
母は人工呼吸器を付けながら、最期の力をふりしぼって自分のコマを回し続けています。
意識が少し戻ってきました。その生きる力に敬意を表して、気管切開することにしました。
母の好きな桜を見せてあげたいなあと思います。
by hohho-biny | 2012-02-22 07:49 | 詩の時間

愛する人に

f0139963_2352648.jpg

伊藤若冲の梅花図二点です。
梅の花が咲く季節になると思い出す好きな詩があります。

愛する人に  井上 靖

洪水のように、
大きく、 烈しく、
生きなくてもいい。
清水のように、 あの岩陰の、
人目につかぬ滴りのように、
清らかに、 ひそやかに、 自ら耀いて、
生きて貰いたい。

さくらの花のように、
万朶を飾らなくてもいい。
梅のように、
あの白い五枚の花弁のように、
香ぐわしく、きびしく、
まなこ見張り、
寒夜、なおひらくがいい。

壮大な天の曲、神の声は、
よし聞けなくとも、
風の音に、
あの木々をゆるがせ、
野をわたり、
村を二つに割るものの音に、
耳を傾けよ。

愛する人よ、
夢みなくてもいい。
去年のように、
また来年そうであるように、
この新しき春の陽の中に、
醒めてあれ。
白き石のおもてのように醒めてあれ。
                 

              詩集「シリア砂漠の少年」より

今、母を看ながら思うのです。
母こそ、この詩の梅の花のような人であったと。
by hohho-biny | 2012-02-18 00:34 | 詩の時間

母の歌集と椿

f0139963_8182212.jpg

人工呼吸器と点滴で生かされて、眠りの森を彷徨っていた母は、脳死状態で一週間が経過しました。
八日目、奇跡的に目が開きました!
黒目が出ていないので見えてはいませんが、少し目を動かしたり首を動かしたりするようになりました。
孫のキーポンが、「キーポンですよ~ わかりますか?」と呼びかけると、少し頷いたようでした!

ホッホーは仕事帰りに毎晩通い、呼びかけたり、話しかけたり、絵葉書を見せたり、本を読んだりしてきました。
刺激し続けることで、もしかしたら?という思いで続けています。

昨夜は、母が好きな椿の絵葉書を繰りながら、「これはプリンセス雅子よ、きれいでしょ~」と話しかけましたが、目はトロンとして反応しませんでした。覚醒と眠りには波があります。
次に母の歌集の中から、ホッホーが好きな短歌を15首位詠み上げました。
すると・・・目がパッチリ開き、歌集を見ようと動きました!!
時々目を動かし記憶の森を彷徨っているようでした。
呼吸器から何回か声がもれたような気がしました。
意識がなくても耳は聞こえているのですね!

母は短歌が好きで、昭和51年から短歌の会に所属しており、過去に三冊の歌集を自費出版しました。
黄の水盤(昭和60年4月15日発行) 母61歳
野鳥家族(平成4年3月25日発行) 母68歳
ユリの木(平成12年1月12日発行) 母76歳
還暦から7年毎に数百種の歌を収めてあります。

昨夜は「ユリの木」から詠み上げました。
もともと雑木林の湧き水のあったところに住み、樹木を眺め、花を待ち、みのりを待ち、鳥を待つ、そんなリズムの中で穏やかに過ごしていた母です。

 ☆花に佇ち花をみつむるいづこにも木の祝祭の開かるるとき

 ☆樹下に置く小さき椅子の旧りたれどいつよりかわが指定席なり

 ☆いくたびも心に植ゑし記念樹の亭亭としてそれぞれのかげ

 ☆同じ丈に芽生えしナギをいとほしみなにも競はぬ平安にをり

 ☆赤松の古木二本をくぐり来し長き歳月 松は傘なりき

 ☆餌台にみかんを置けば四十雀も目白も冬のわが家族なり

 ☆天秤にかけられぬもの多きかな思ひの丈も心ごころも

 ☆時の粒一つ一つの寄り合ひてやがて花季 椿咲くなり

 ☆ふたたびを枝に還らぬ花の声木の傍らに耳澄ますべし

 ☆とり壊す家の一間に置かれありしサクラクレパス二十四色

 ☆柵のなき友といはれし安らぎにふり向けば遠く草原つづく

 ☆何気なく今生といひ末期とも 一つの生は花あるものを


f0139963_8185072.jpg


f0139963_8191128.jpg


f0139963_8192114.jpg


f0139963_8193488.jpg

by hohho-biny | 2012-02-16 10:10 | セピア色の時間

人工呼吸器の人

f0139963_6583958.jpg

母は昨日、人工呼吸器の人となりました。
昨朝、入院先の病室で心肺停止状態で発見され、心臓マッサージ、強心剤等の蘇生処置が施され、蘇生しましたが、人工呼吸器の装着となりました。鼻にも水分補給の管が差し込まれ、手にも胸にも最新機器数台のコードが貼り付けられていました。
多分、もう意識は戻らないでしょう。
重症患者室に移されたので、病室に飾ってあげた絵葉書を持ち帰りました。
小鳥が好きだった母は、庭に来る野鳥のために餌台を作り、よく餌をやっていました。


f0139963_7105721.jpg

傍目には、仲の良いおしどり夫婦と写っています。
確かに夫婦喧嘩をしているのを見たことがありません。
しかし、それは母が父に従う姿勢を貫いたからです。
我がままな暴走老人に合わせて自分の意志を封じ込めていたからなのです。
大正生まれの女の信念の強さは、あっぱれでした。


f0139963_7195764.jpg

常に三歩さがった位置で、愚痴も文句も言わず、冷静に平和を保持して、夫の前に出しゃばることはありませんでした。
娘たちとは、正反対の生き方でした。
そんなふうに自分を貫いた人生でしたから、書置きも言葉も何も遺さずに、言葉を失いました。
幸せだったのか、不幸せだったのかは、娘たちにも語らなかったのでわかりません。
次の世代に多くの謎を遺して、大正・昭和・平成を静かに生きた女です。
by hohho-biny | 2012-02-06 07:44 | 語る絵葉書

恵方巻きを食べる

f0139963_214441100.jpg
今日は節分。
節分の夜、恵方に向かって巻き寿司を丸かぶりすると、その年は幸せが回ってくる。
江戸時代に大阪の花街で始まったそうです。
今年の恵方は、北北西。
恵方とは、歳徳神の位置する方位で、一年中の大吉の方位。


ホッホーは仕事帰りに、お寿司屋で恵方巻きを作ってもらいました。
1本だと大きすぎるので、二つに切ってもらいました。(半分は明日食べる)
恵方巻きだけだと、ちょっとさびしいので、鉄火巻きも添えました。
帰宅して急いで豚汁とほうれん草の胡麻和えを作りました。
北北西に向かって丸かぶりしましたが、これで幸せがやってくるのでしょうか?

節分の豆まきはしませんでした。鬼は我が内に飼っておりますゆえに。
豆を歳の数だけ食べると身体に悪いですからねえ。
by hohho-biny | 2012-02-03 22:46 | おいしい時間

語らいふくろう

f0139963_716535.jpg

AMさんから、二枚のふくろう絵葉書が届きした♪
右はmakoto maruyamaさんの作品。ふくろうがお好き!
左はAMさん作成の貼り絵です。雑誌の切り抜きでアート!

ホッホーは、”夕映えの語らい”のテーマでふくろう寄せをしてみました。
AMさんは、おいしいものが好きなので、食ふくろうをあしらって遊びました♪
by hohho-biny | 2012-02-03 07:31 | ふくろう