ホッホーとは、ふくろうの鳴き声です。また、「なるほど、なるほど、ホッホー」と感心する声でもあります。


by hohho-biny
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カテゴリ:詩の時間( 63 )

手から、手へ

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            手から手へ
                              詩 池井昌樹

               やさしいちちと
               やさしいははとのあいだにうまれた
               おまえたちは
               やさしい子だから
               おまえたちは
               不幸な生をあゆむのだろう

               やさしいちちと
               やさしいははから
               やさしさだけをてわたされ
               とまどいながら
               石ころだらけな
               けわしい道をあゆむのだろう

               どんなにやさしいちちははも
               おまえたちとは一緒に行けない
               どこかへ
               やがてはかえるのだから

               やがてはかえってしまうのだから
               たすけてやれない
               なにひとつ
               たすけてやれない

               そこからは
               たったひとり

               まだあどけないえがおにむかって
               やさしいちちと
               やさしいははとは
               うちあけようもないのだけれど

               いまはにおやかなその頬が痩け
               その澄んだ瞳の凍りつく日がおとずれても
               怯んではならぬ
               憎んではならぬ
               悔いてはならぬ

               やさしい子らよ
               おぼえておおき
               やさしさは
               このちちよりも
               このははよりもとおくから
               受け継がれてきた
               ちまみれなばとんなのだから
               てわたすときがくるまでは
               けっしててばなしてはならぬ

               まだあどけないえがおにむかって
               うちあけようもないのだけれど
               やさしいちちと
               やさしいははとがちをわけた
               やさしい子らよ
               おぼえておおき

               やさしさを捨てたくなったり
               どこかへ置いて行きたくなったり
               またそうしなければあゆめないほど
               そのやさしさがおもたくなったら
               そのやさしさがくるしくなったら

               そんなときには
               ひかりのほうをむいていよ
               いないいないばあ

               おまえたちを
               こころゆくまでえがおでいさせた
               ひかりのほうをむいていよ

               このちちよりも
               このははよりもとおくから
               射し込んでくる
               一条の
               ひかりから眼をそむけずにいよ

詩を読みながら・・・目頭がジーンと熱くなります。
今日は勤労感謝の日。
父方の祖父母から、母方の祖父母から、父母に手渡されたやさしさのバトン。
父母から私に手渡されたやさしさのバトン。
そのやさしさに包まれた苦悩の日々。
私もまた、子どもたちにちまみれのやさしさのバトンを手渡すでしょう。
そのちまみれのやさしさを抱きながら、先祖が勤労し続けて今があることに感謝します。
by hohho-biny | 2012-11-23 08:14 | 詩の時間

少女

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南桂子の銅版画に魅せられ、
啓発されて作詩した詩人たちがいます。
谷川俊太郎もその一人で、
数編の詩を画に捧げています。
その一つに「少女」があります。
先日の日曜美術館で、
ご本人が朗読しました。
南桂子の「少女」を言い得て妙。
手元の南桂子生誕100年記念展の図録に
その全詩が載っているので、
書き留めておきます。
少女は、南桂子の永遠のテーマで、
その不思議な瞳と佇まいに、ホッホーも惹かれ、想像をかき立てられます。

少女  谷川俊太郎

1 いつうまれたのか
  わたしはしりません
  じぶんがだれなのかも

  いまがいつか
  わたしはしりません
  ここがどこかも

  でもわたしはいます
  ここに きのかたわらに
  はなをだいて
  とりたちといっしょに いま

2 あなたがわたしをみつめると
  あなたのひとみのなかに
  わたしがいます

  めはいるぐち
  こころへの

  めはでぐち
  こころからの

  わたしがあなたをみつめても
  めをそらさないで

3 えのなかにいらっしゃい
  わたしのそばへ
  ことばをわすれて

  なにもしないでただたっていると
  きのよろこびがみえてきます
  みずのかなしみがきこえてきます

4 えがかれたかみをやぶっても
  わたしはいなくなりません
  わたしはもう
  あなたのこころのへやにすんでいます

  わたしはなつかしいどこかからきて
  なつかしいどこかへかえっていきます
  あなたといっしょに

5 わたしたちはおなじものがたりのとちゅうで
  ひとやすみしているのです
  
  ゆびさきがきのうのつきにふれています
  つまさきがあしたのなみにあらわれています

  こころはまだうたわれていないうたで
  いっぱいです

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by hohho-biny | 2012-08-04 07:22 | 詩の時間

詩画集より 故郷の海

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南桂子生誕100年記念展
「きのう小鳥にきいたこと」の詩画集が手元にあります。
南桂子の銅板画と詩人たちとのコラボです。
最後に南桂子の「故郷の海」が載っています。

魚と舟 1962年






故郷の海  南桂子

夕陽に 映える
ステンド グラス のように
きらめく 小さな 窓 窓

青や 赤や 紫や
色 とりどりの
心の中の 想い出の 小窓
青い 小窓を ひらき
波の音を 聞こう

幼ない ころ
夏を すごした
故郷の 海の
蚊帳の内で 聞いた 波の音

月見草が 咲いて
小蟹が 走っていた
夕暮れの 浜辺
氷屋の旗が ヒラヒラと
風に はためいていた
ひなびた 村

ゆらめく 海藻や
岩かげを 泳ぐ 小さな魚も

青い 小窓を 開けば
いつも 聞こえる
なつかしい 故郷の 海の唄
by hohho-biny | 2012-07-25 07:00 | 詩の時間

みずうみ

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7月16日、今日は海の日。
真夏のような暑さで、ベランダを強風が吹き抜けていきます。
小野竹喬のこの絵葉書が、
今日の暑さにピッタリ。
奥の細道句抄絵 1976年
暑き日に海にいれたり最上川



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7/12の毎日新聞の余禄欄に茨木のり子の詩
”みずうみ”が紹介されていました。
全詩を読みたかったので、
文庫から詩集を出してきました。

この絵葉書は ”水” 
福田平八郎 昭和33(958)年









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”みずうみ”というと、
この絵本を思い浮かべます。
しいんとした静寂につつまれて
おじいさんと少年は夜明けを迎えます。








みずうみ  茨木のり子

<だいたいお母さんてものはさ
  しいん
  としたとこがなくちゃいけないんだ>

名台詞を聴くものかな!

ふりかえると
お下げとお河童と
二つのランドセルがゆれてゆく
落葉の道

お母さんだけとはかぎらない
人間は誰でも心の底に
しいんと静かな湖をもつべきなのだ

田沢湖のように深く青い湖を
かくし持っているひとは
話すとわかる 二言 三言で

それこそ しいんと落ちついて
容易に増えも減りもしない自分の湖
さらさらと他人の降りてはゆけない魔の湖

教養や学歴とはなんの関係もないらしい
人間の魅力とは
たぶんその湖のあたりから
発する霧だ

早くもそのことに
気づいたらしい
小さな二人の娘たち

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遠い声を聞く女 ジョージア・オキーフ
山本容子 1996年

凛とした静かな佇まいに意志の強さが感じられます。








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刺繍する女
リヴモン・プリヴァ(1861~?)

女が向き合う独りの時間
何を想っているのか?

母は若いころから心の底に静かな湖をたたえた女でした。
その湖から発する霧は、今も謎のままなのです。
by hohho-biny | 2012-07-16 13:52 | 詩の時間

崖  石垣りん

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母の花コーナーの桔梗が咲きました。
ふっくらとして少しずつ夢を育んでいた蕾が
パッと開いた朝♪
何とも美しい色と形にうっとりします。
母も祖母も好きな花だったのではないかと
想像します♪

母や祖母を想うとき
石垣りんの「崖」という詩を思い出します。
戦争を生き延びて女の命を全うしたけれども・・・
ある時、ある思いで崖から身を投げたのではないか?
その思いがまだ、私に届いていないのではないか?
とホッホーは時々想うのです。



崖  石垣りん


戦争が終り、
サイパン島の崖の上から
次々に身を投げた女たち。

美徳やら義理やら体裁やら
何やら。
火だの男だのに追いつめられて。

とばなければならないからとびこんだ。
ゆき場のないゆき場所。
(崖はいつも女をまっさかさまにする)

それがねえ
まだ一人も海にとどかないのだ。
十五年もたつというのに
どうしたんだろう。
あの、
女。


この詩は、1968(昭和43)年刊行の詩集「表札など」に収められています。
石垣りんは48歳でした。
by hohho-biny | 2012-07-10 07:41 | 詩の時間

ゴリラはごりら

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AMさん、お待たせしました。
台風で転がったゴリラとカンガルーの置き物です。
いつだったか忘れましたが、秩父方面へお花を見に行った帰りに露店で見つけました。
若いお兄さんが、コツコツ制作しているのですが、ちっとも売れていなくて、かわいそうになり、買ってあげました。

ホッホーが中学生のころ、彫刻で作った牛に似た感じで、妙に懐かしかったのでした♪
ゴリラとカンガルーは玄関前で見張り番をしているのです。

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工藤直子の詩集
「コリラはごりら」の詩が面白いので、書きます。

でんぐりがえりの ゴリラ
うでたてふせの ゴリラ
なにをやっても ゴリラ
ゴリラはとても ゴリラ

はっぱをぱくりと ゴリラ
きのみをごくりと ゴリラ
なにをたべても ゴリラ
ゴリラはとても ゴリラ

かぜにふかれて ゴリラ
くもをながめて ゴリラ
こころのそこまで ゴリラ
とてもりっぱな ゴリラ

ねっ! 楽しいでしょ♪  ゴリラに愛をこめて。
ゴリラの代わりに自分の名前を入れて読むと、もっと楽しくなります♪
by hohho-biny | 2012-06-24 23:53 | 詩の時間

人生は森のなかの一日

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先日UPした長田弘の詩画集「詩ふたつ」のもう一つの詩
”人生は森のなかの一日”
グスタフ・クリムトの画も素敵!

<あとがきの言葉>より抜粋
 「詩ふたつ」は、詩ふたつからなる一冊の詩集です。それは死ふたつ、志ふたつでもある組詩として書かれ、ことばと絵のふたつからなる、一冊の本としてつくられました。
 亡くなった人が後に遺してゆくのは、その人が生きられなかった時間であり、その死者の生きられなかった時間を、ここに在るじぶんがこうしていま生きているのだという、不思議にありありとした感覚。
 「詩ふたつ」に刻みたかったのは、いまここという時間が本質的にもっている日向的な指向性でした。
心に近しく親しい人の死が後にのこるものの胸のうちに遺すのは、いつのときでも生の球根です。喪によって、人が発見するのは絆だからです。
 そのことをけっして忘れさせないものとして、いつも目の前に置いて励まされたのは、グスタフ・クリムトの樹木と花々の圧倒的な画でした。わたしにとってのクリムトは、誰であるよりもまず、樹木と花々のめぐりくる季節の、死と再生の画家です。
「詩ふたつ」は、できれば、ゆっくりと声にだして詠んでください。
故長田瑞枝(1940~2009)の思い出にーー。 (2010年 卯月)

人生は森のなかの一日  長田弘

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何もないところに、
木を一本、わたしは植えた。
それが世界のはじまりだった。

次の日、きみがやってきて、
そばに、もう一本の木を植えた。
木が二本。木は林になった。

三日目、わたしたちは、
さらに、もう一本の木を植えた。
木が三本。林は森になった。

森の木がおおきくなると、
おおきくなったのは、
沈黙だった。

沈黙は、
森を充たす
空気のことばだ。
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森のなかでは、
すべてがことばだ。
ことばでないものはなかった。

冷気も、湿気も、
きのこも、泥も、落葉も、
蟻も、ぜんぶ、森のことばだ。

ゴジュウカラも、アトリも。
ツッツツー、トゥイー、
チュッチュビ、チリチリチー、

羽の音、鳥の影も。
森の木は石ゴケをあつめ、
降りしきる雨をあつめ、

夜の濃い闇をあつめて、
森全体を、蜜のような
きれいな沈黙でいっぱいにする。

東の空がわずかに明けると、
大気が静かに透きとおってくる。
朝の光が遠くまでひろがってゆく。

木々の影がしっかりとしてくる。
草のかげの虫。 花々のにおい。
蜂のブンブン。石の上のトカゲ。

森には、何一つ、
余分なものがない。
何一つ、むだなものがない。

人生も、おなじだ。
何一つ、余分なものがない。
むだなものがない。

やがて、とある日、
黙って森を出てゆくもののように、
わたしたちは逝くだろう。
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わたしたちが死んで、
わたしたちの森の木が
天を突くほど、大きくなったら、

大きくなった木の下で会おう。
わたしは新鮮な苺をもってゆく。
きみは悲しみをもたずにきてくれ。

そのとき、ふりかえって
人生は森のなかの一日のようだったと
言えたら、わたしはうれしい。
by hohho-biny | 2012-05-06 08:58 | 詩の時間

花を持って、会いにゆく

f0139963_2351221.jpg美しい詩画集です。
長田弘の詩ふたつ
クリムトの花々と樹木の絵がコラボして、崇高な世界が繰り広げられています。
「花を持って、会いにゆく」
「人生は森のなかの一日」
二つの詩が収められています。
2010年6月4日 初版  クレヨンハウス

母を見送った春。
母が生きられなかった時間を、今、私が生きています。
喪失の悲しみは、母との絆の発見へと導かれてゆきます。

「花を持って、会いにゆく」 を亡き母に捧げます。

春の日、あなたに会いにゆく。
あなたは、なくなった人である。
どこにもいない人である。

どこにもいない人に会いにゆく。
きれいな水と、
きれいな花を、手に持って。

どこにもいない?
違うと、なくなった人は言う。
どこにもいないのではない。

どこにもゆかないのだ。
いつも、ここにいる。
歩くことは、しなくなった。

歩くことをやめて、
はじめて知ったことがある。
歩くことは、ここではないどこかへ、

遠いどこかへ、遠くへ、遠くへ、
どんどんゆくことだと、そう思っていた。
そうでないということに気づいたのは、

死んでからだった。 もう、
どこにもゆかないし、
どんな遠くへもゆくことはない。

そうと知ったときに、
じぶんの、いま、いる、
ここが、じぶんのゆきついた、

いちばん遠い場所であることに気づいた。
この世からいちばん遠い場所が、
ほんとうは、この世に、

いちばん近い場所だということに。
生きるとは、年をとるということだ。
死んだら、年をとらないのだ。

十歳で死んだ
人生の最初の友人は、
いまでも十歳のままだ。

病いに苦しんで、
なくなった母は、
死んで、また元気になった。

死ではなく、その人が
じぶんのなかにのこしていった
たしかな記憶を、わたしは信じる。

ことばって、何だと思う?
けっしてことばにできない思いが、
ここにあると指さすのが、ことばだ。

話すこともなかった人とだって、
語らうことができると知ったのも、
死んでからだった。

春の木々の
枝々が競いあって、
霞む空をつかもうとしている。

春の日、あなたに会いにゆく。
きれいな水と、
きれいな花を、手に持って。
by hohho-biny | 2012-05-04 23:58 | 詩の時間

ことしの花の・・・

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ことしの花の・・・  
       新川和江


ことしの花の下にいて
去年のさくら おととしのさくら
いつの世かさえさだかではない
はるかな春の
おとことおんなに
散りかかっていた花びらを思う

そのあと
ふたりはどうしたか
父の父の 祖父だったかもしれない
母の母の 祖母だったかもしれない
そのふたり


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花はいくど咲き いくど歌ったろう
ひとたちはいくど会い
そうしていくど別れたろう
うららかに陽は照りながら
ひいやりとなぜかつめたい花の下に
ことしのひとと共にいて











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     実家の桜を見に行きました。
     母と共に88年の年輪を重ねた二本の桜は、今年も美しく咲いていました。
     祖父も祖母も愛した桜の老樹です。     
by hohho-biny | 2012-04-13 08:23 | 詩の時間

母のコマ

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母が昭和46年3月に作った作品です。
詩も版画もガリ切りも製本も全て母が作りました。
母は人工呼吸器を付けながら、最期の力をふりしぼって自分のコマを回し続けています。
意識が少し戻ってきました。その生きる力に敬意を表して、気管切開することにしました。
母の好きな桜を見せてあげたいなあと思います。
by hohho-biny | 2012-02-22 07:49 | 詩の時間