ホッホーとは、ふくろうの鳴き声です。また、「なるほど、なるほど、ホッホー」と感心する声でもあります。


by hohho-biny
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茨木のり子と石垣りんの詩

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石垣りんと茨木のり子の詩が似ているとのご指摘があり、ホッホーな~るほどと思いましたので、茨木のり子の「倚りかからず」を抜粋します。彼女は去年の2月に永眠。孤独死でした。
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私にも好きな傾向があって、どうしても偏ってしまうのですが、まず毅然としてまっすぐであること、自由と孤独を抱えて生きていること、人生を楽しんでいること等が選択基準となります。
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         倚りかからず   茨木のり子
f0139963_23461364.jpg      
       もはや
       できあいの思想には倚りかかりたくない
       もはや
       できあいの宗教には倚りかかりたくない
       もはや
       できあいの学問には倚りかかりたくない
       もはや
       いかなる権威にも倚りかかりたくはない
       ながく生きて
       心底学んだのはそれぐらい
       じぶんの耳目
       自分の二本足のみで立っていて
       なに不都合のことやある
       倚りかかるとすれば
       それは
       椅子の背もたれだけf0139963_22154374.jpg

私の前にある鍋とお釜と燃える火と  石垣りん  
  
  それはながい間
  私たち女のまえに
  いつも置かれてあったもの、

  自分の力にかなう
  ほどよい大きさの鍋や
  お米がぷつぷつとふくらんで
  光り出すに都合のいい釜や
  劫初からうけつがれた火のほてりの前には
  母や、祖母や、またその母たちがいつも居た。
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  その人たちは
  どれほどの愛や誠実の分量を
  これらの器物にそそぎ入れたことだろう、
  ある時はそれが赤いにんじんだったり
  くろい昆布だったり
  たたきつぶされた魚だったり
  台所では
  いつも正確に朝昼晩への用意がなされ
  用意のまえにはいつも幾たりかの
  あたたかい膝や手が並んでいた。
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  ああその並ぶべきいくたりかの人がなくて
  どうして女がいそいそと炊事など
  繰り返せたろう?
  それはたゆみないいつくしみ
  無意識なまでに日常化した奉仕の姿。
  
  炊事が奇しくも分けられた
  女の役目であったのは
  不幸なこととは思われない、
  そのために知識や、世間での地位が
  たちおくれたとしても
  おそくはない
  私たちの前にあるものは
  鍋とお釜と、燃える火と
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  それらなつかしい器物の前で
  お芋や、肉を料理するように
  深い思いをこめて
  政治や経済や文学も勉強しよう、

  それはおごりや栄達のためでなく
  全部が
  人間のために供せられるように
  全部が愛情の対象あって励むように。
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彼女たちが遺してくれた素晴らしい言葉の力に感謝して、利尻・礼文の花々を捧げます。
by hohho-biny | 2007-07-31 23:52 | 花時間