ホッホーとは、ふくろうの鳴き声です。また、「なるほど、なるほど、ホッホー」と感心する声でもあります。


by hohho-biny
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人生は森のなかの一日

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先日UPした長田弘の詩画集「詩ふたつ」のもう一つの詩
”人生は森のなかの一日”
グスタフ・クリムトの画も素敵!

<あとがきの言葉>より抜粋
 「詩ふたつ」は、詩ふたつからなる一冊の詩集です。それは死ふたつ、志ふたつでもある組詩として書かれ、ことばと絵のふたつからなる、一冊の本としてつくられました。
 亡くなった人が後に遺してゆくのは、その人が生きられなかった時間であり、その死者の生きられなかった時間を、ここに在るじぶんがこうしていま生きているのだという、不思議にありありとした感覚。
 「詩ふたつ」に刻みたかったのは、いまここという時間が本質的にもっている日向的な指向性でした。
心に近しく親しい人の死が後にのこるものの胸のうちに遺すのは、いつのときでも生の球根です。喪によって、人が発見するのは絆だからです。
 そのことをけっして忘れさせないものとして、いつも目の前に置いて励まされたのは、グスタフ・クリムトの樹木と花々の圧倒的な画でした。わたしにとってのクリムトは、誰であるよりもまず、樹木と花々のめぐりくる季節の、死と再生の画家です。
「詩ふたつ」は、できれば、ゆっくりと声にだして詠んでください。
故長田瑞枝(1940~2009)の思い出にーー。 (2010年 卯月)

人生は森のなかの一日  長田弘

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何もないところに、
木を一本、わたしは植えた。
それが世界のはじまりだった。

次の日、きみがやってきて、
そばに、もう一本の木を植えた。
木が二本。木は林になった。

三日目、わたしたちは、
さらに、もう一本の木を植えた。
木が三本。林は森になった。

森の木がおおきくなると、
おおきくなったのは、
沈黙だった。

沈黙は、
森を充たす
空気のことばだ。
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森のなかでは、
すべてがことばだ。
ことばでないものはなかった。

冷気も、湿気も、
きのこも、泥も、落葉も、
蟻も、ぜんぶ、森のことばだ。

ゴジュウカラも、アトリも。
ツッツツー、トゥイー、
チュッチュビ、チリチリチー、

羽の音、鳥の影も。
森の木は石ゴケをあつめ、
降りしきる雨をあつめ、

夜の濃い闇をあつめて、
森全体を、蜜のような
きれいな沈黙でいっぱいにする。

東の空がわずかに明けると、
大気が静かに透きとおってくる。
朝の光が遠くまでひろがってゆく。

木々の影がしっかりとしてくる。
草のかげの虫。 花々のにおい。
蜂のブンブン。石の上のトカゲ。

森には、何一つ、
余分なものがない。
何一つ、むだなものがない。

人生も、おなじだ。
何一つ、余分なものがない。
むだなものがない。

やがて、とある日、
黙って森を出てゆくもののように、
わたしたちは逝くだろう。
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わたしたちが死んで、
わたしたちの森の木が
天を突くほど、大きくなったら、

大きくなった木の下で会おう。
わたしは新鮮な苺をもってゆく。
きみは悲しみをもたずにきてくれ。

そのとき、ふりかえって
人生は森のなかの一日のようだったと
言えたら、わたしはうれしい。
by hohho-biny | 2012-05-06 08:58 | 詩の時間